HISTORY 現代アーチストセンターの歩み

現代アーチストセンターの歩みを、文書と展覧会資料でたどります。


 

1980年に始まる現代アーチストセンターの歴史を振り返ってみます。2000年代の冷ややかで無関心な時代に生きる私たちには、想像できないような熱い証言があります。

 

1年目の総括     現代アーチストセンター運営委員長 伴 勝雄(当時/1980年)

 賛同者による自主参加の形態をとって出発した旧仮称無所属美術家会議がほぼ4年を経た昨年夏、規約を改め、組織を替えて会員と賛同者の構成による現代アーチストセンターとして発足し、最初の1年を経過しつつある。 当初無所属会議が直接めざした新都美術館における個展会場への解放運動は、その要求の実質と規模に遠い形ながら若干の実現を見、幾度かの個展、グループ展が行われて来た。前後して起こった他のいくつかの運動と相まって都美術館の運営にもいくらかの改変がみられたが、その在り様の根底からの変革はなされず、依然として旧態を脱するには至っていない。都美術館そのものを無視する作家の声も巷に数多く聞かれるが、現に館が運営されている限り、その在り様をたえず問う具体的な働きかけがなければ権威依存によって見る側の固有の眼を奪い続けてきたその管理的体制の幣は容易に改まるまい。

 個展、グループ展を主とした自由な表現の場への解放というこのような運動が表現者にとって必ずしも第二義的なものとは云い難い。表現者の外に向かっての行動は内へ向かっての表現の理念追求そのものではないにしても、それと全く無関係だとは思われないからである。従って現代アーチストセンターが他の公的美術館を含めて、都美術館の在り様を問う姿勢とこの目的の実現をめざすことを運動の大きな柱としていくことに今後も変わりはない。終末のないこの困難な作業が表現者の一グループの力のみでよくする所ではないことをとくと承知であるのだが、少なくともその戦列の一つの力にはなり得たいと念願するのである。

 しかしながら自主発表を含むその後のこの運動の経緯に必ずしも強力なインパクトが感じられないのはどうしてか、開かれた表現の場が要求する程の拡大をみないことや、見る側の流動性を欠いて外への反応がにぶいといったこと、又活力ある作家の自主的発表への積極的参加が意外に少ないということなどもあるが、一方で外へのこのような運動に手足をとられるまま、表現者個々の、又は運動体内部の表現にかかわる理念検証にキビシサを欠く所があったからではないか。外と内とがかかわっているにしても内への鋭い検証の持続がなければ表現者の運動としての内外一体の強さは望めまい。「個による自由な芸術表現を志向するゆるやかな集合体」と新規約に謳われたが、しかしこれは表現の質的次元の低さや理念の欠如を許容するものではない。その故にこそ今回の新発足があえて企てられた筈であった。

 ともあれ、本年4月と6月に試みられた2回のシンポジューム、又同じく7月にセンター企画の形で行われた「展出された7景」展でのギャラリー・彫塑室を異次元の表現空間としての尖鋭に活性化した7人の発表は、旧来に比していささか注目に値する新しい動きではあったが、新組織全体としての出発の足音はまだ高く響いてこない。だが運動の凝集と活性化を望む声は内部にある。様々な場においてこの活性化への具体的な提案が検討され、その企画の実行と実現の過程の中で表現者個々の内側を検証し、おのれの表現を突出させ乍ら、錯綜するその修羅場の中で運動体そのものの共通の理念をつきつめることが必要である。それはとりもなおさず組織体としての表現論そのものの確立の問題に他ならないが、あらゆるものの停滞と不毛、風化の危機的状況の中で明確な自立をめざす深い問い直しの作業が不可欠と思われる。80年代への幕あけは81年初頭に行うべきである。

 

今日の展覧会の洪水ともいうべき「文化飽食」の時代に、

決定的に欠けているものを討論のなかでとことんまで究明する必要があるだろう。

      美術評論家  針生 一郎 (1984年)       

 1975年ごろ、東京都美術館の新館が完成したが、その運営が依然として既成公募団体の借館実績中心なのに抗議して、さまざまの運動がおこった。東京展、从会、アーチストユニオン、画家組合、そして東京展への内部批判から独立した日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術会議など。だが、10年以上経てふりかえってみると、それらの運動が都美術館の新しい借館団体に組みこまれただけというべき状態にあるのに対して、もっとも健全な発展を示していると思われるのが、無所属作家会議、いま改称して現代アーチストセンターである。

 美術館は本来個人としての芸術家の作品発表を本位とすべきで、東京都美術館のように公募団体でなければ貸さないという慣習上の規定は、それじたい不合理でおかしいという主張からこの運動は出発した。この主張の抗しがたい正当性の前に、都美術館側も夏場や年末などの団体展の端境期に、あいたスペースを個展のため提供せざるをえなかった。こうして無所属作家会議ないし現代アーチストセンターが窓口となって、個展・グループ展の開催希望をつのり、会場を斡旋する形式がはじまったのである。

 その間にジャンルは絵画、立体、写真、書、舞踊、パフォーマンスなどにわたり、アリヨス・イエルチチ、ウラジミール、タマリ、ウィルミン・ヘンドリックスら外国人の参加もあったこと、都美術館のありかたや発表形式について何度かシンポジウムがもたれたことは注目される。窓口が権威をもたないために、役員がたえず交替してきたのも民主的だし、現状に満足せずに、都美術館運営について2年前要望書を提出したことも、特筆されるだろう。その結果、今回から会場スペースが2倍近くにふえたという。

 そこで、これまではあくまで窓口の役割にとどまってきたが、今後はあたえられたスペースを実験的な創造空間として保つために、アーチストセンターの企画展も考えられていい段階に来ている。ただそのためには、今日の展覧会の洪水とも言うべき「文化的飽食」の時代に、決定的に欠けているものが何かを、討論のなかでとことんまで究明する必要があるだろう。

溌・光・彩によせて  美術評論/真木・田村画廊  山岸 信郎 (溌・光・彩展の文章より抜粋)

 アーチストセンター展は1970年、都美術館改築落成にあたって、都が旧来の日展、二科展等々、権威ある諸団体専用の会場として運営をはかったのに対し、読売アンデパンダンの美術家等、当時のアバンギャルド達或いは団体に所属しない作家たちが異議を申し立てた。記憶はやや薄れたが吉村益信を中心とするアーチスト・ユニオンのメンバーを基として、批評家の針生一郎氏や、よしだよしえ氏が盛んに反対派の先鋒として論陣を張っていたと思う。「新しい都美術館の運営は、もっと広汎に一般の民衆と多くの美術家に開放されるべきだ」というのがその主旨であった。

 反対派の運動は、その後それぞれの主張の下に今なお続く「東京展」「画家協同組合展」に分裂したが、後者は日本社会党の支援によって開催されたものである。アーチスト・ユニオンの運動と試みは更に、飽くまでも表現の自由と新たな美術の展開を標榜して全国的な組織として展開したが計画が遠大に過ぎた故か、資金上の問題等を抱えながら焦点を失い拡散していった。

 「発・光・彩」はその流れにそいながら、また新たな観点にたつ一群の美術家達の自由参加による集団である。母体は都美術館の一画に毎年、唯一アンデパンダン形式の発表の場所として獲得された会場を失うまいとする有志作家の堅い意志に基づく。「表現の自由」、ややもすれば権威化し、形骸化しがちな在来の団体展、美術家のグループに対する反省、批判として民主的且つ解放的な展覧会の在り方が模索された。アーチストセンターの熱心な支持者であった故・田中繁一氏等がその先頭に立っていた筈である。試行錯誤が限りなく続けられる中から、ここで行われる毎年の展覧会は主催者、企画者を各年毎に変えること、その決定は前年の展覧会作家から互選によるなどが主旨である。以来この展覧会は30回20年にもなろうか。発案から運営まで後啓子さんをはじめとする参加者各作家の真に自発的、民主的な良識がその継続を可能にしたというべきであろう。

 都美術館を放たれても何時、何処でも、上記のようにして知りあった美術家達が、合意さえ出来上がれば、その都度毎に展覧会を開催出来るというのが、このグループの特徴であり、「溌・光・彩」の名称もそこに由来するものであろう。会員も制約もなく、作品制作の方向、理念も問わない。恐らくこの作家たちの根底には、美術とは作品が成り立つ場の確立であり、開示であり、従って美術そのものも、「日常生活の体験や思いを含めた全人間的表現の空間的なトライの場の創造」という理念を秘めているのではないかと思う。


現代アーチストセンターの前史、無所属美術家会議の時代(1975年〜1979年)についての記述です。

 

未来は今はじまる   美術館問題にちなんで           野村 太郎

 美術館の未来像についての模索が、無所属美術家会議(以下会議と略する)の議事にのぼっている。もともと会議は、既成の審査制公募団体展に占有されて機能麻痺に陥っている東京都美術館に、自由な立場の美術家たちの自主的な発表の場をもとめる運動に端を発している。この要求は、ささやかながら都美術館の受け入れるところとなり、過去2年半にわたって3回、毎回10名前後の美術家の個展ないしはグループ展をここで開催することが出来た。その経験に徴して、会議は都美術館の組織、運営、施設、機能の前近代性もしくは旧態依然について、より一層の批判の目を鍛えると共に、それを越えて、美術館の本来あるべき姿について思考を深め、意識を高めてきたのである。

 最近会議は、運動の目標として、(1)池袋に建設を予定されている芸術文化会館(伝えられる計画によれば舞台芸術および音楽を中心とする)の内部に画廊ホールを併設する要望、(2)立川基地跡に地域住民の声を反映して公共美術館を新設する要望を掲げている。(1)は芸術諸ジャンルの連帯と総合を推進する立場、(2)は地域住民に創造的な意識を媒介するための「創造センター」の構想に立脚するものであって、ともに美術館のあるべき機能の一断面を正当におさえた発想であるということができる。

 もちろん会議の基本的な運動である都美術館にたいする働きかけも活発におこなわれており、会場の拡充、会期の延長、表現の自由確立などの諸要求を通じて都美術館のあり方に反省をもとめ、官僚組織や管理体制の強化による美術館機能の動脈硬化に監視の目を怠っていない。

 以上のような運動を通じて、会議は美術館についての独自の考え方を明らかにし、それを総会の討議資料として公表している(1977年2月20日付け文書)。その要点は、(1)組織運営に関しては、一定の任期をもつ美術の専門家を長とする責任体制の確立と美術家および観衆参加による運営、(2)設備に関しては従来の宝物殿式事大主義からの脱皮と多様化する現代美術の表現の諸要素に対応できる施設設備の充実m(3)機能に関しては、鑑賞と創造と研究教育を一体化したいわゆる開かれた美術館の機能がめざされている。つまりこの思考は、近代美術館以後の美術館のあるべき姿として国際的に検討されつつある「総合美術館」の構想に通ずる美術館の未来像への模索であるということができる。

 ぼくはこの模索を高く評価し支持する者であるが、それだけにこのような未来像へ向って美術家が孤軍奮斗、骨身を削る運動を推進している現状を、むしろ悲しむべきことだと思っている。というのは、この運動は美術家が単独で進めるにはあまりにも広い範囲の問題を抱えているし、十二分に意義ある運動には違いないが、美術家の独力をもってしては彼らの第一義的な活動となり得ることはなく、いわば芸術の周辺の運動にとどまるであろうことを危惧するからである。

 この運動は多くの人びとによって前進的に検討され、支持され、推進されなくては実現は覚束ない。多くの人びとは、美術の専門職はもちろん学者、批評家、都市計画者、設計家、各種の技術者、各ジャンルの芸術家、学生、美術愛好家、観衆などなどである。これらの人びとに担われてはじめて、美術家はこの運動をみずからの第一義的な活動の核心に据えることができる。いっかえれば、美術家もまたこれらの人びとと平等立場で、自己の役割を果たすことができるのである。そのためには、美術家を含めてこれらの各界の熱意ある人びとを一堂に集め、検討と活動の場を提供し、そのための予算措置を講じてゆくことのできる人もまた必要であろう。その人はいうまでもなくこの運動にもっとも密接な関係をもっている人−つまり現職の美術館ディレクターであることが望ましい。

 ぼくは、たとえば都美術館当局が、みずから進んで会場を提供し会期をとって「未来の美術館」展を計画してはいかがなものであろうかと提案しているのである。おそらくその展覧会は、従来の美術展とはまるで違ったものになるであろう。そこにはそこには理念に貫かれた回顧展や企画展の空間と並んで現代美術のための多様な空間、情報伝達空間、ゼミナール空間、舞台やステージ、アトリエやスタジオなどなどの斬新な諸空間が具体化されるはずである。これに参加する人びとは、美術家だけが制作者ではなく、みずからもまた創造活動の中心にいることを理解し自覚することになるだろう。

 ぼくの提案は、あるいは新しい酒を古い皮ぶくろに入れる錯誤であると一蹴されるかもしれない。しかしかりにそうだとしても、都美術館という容れものの少なくとも自浄作用として働くことだけは確実である。

 乞うご一考。未来は今はじまっているのだから・・・・。

 

 

東京都美術館での個展            福田 恒太

 たしか昭和50年1月だったと思う。日本画家の山本政雄氏から電話があり「今年の9月に改装オープンする上野の都美術館の運営問題について、都と美術家との話し合いがあるから是非参加してほしい」と。当時わたしはパリの病院で胃袋の2/3を切断し、帰国後、療養生活を続けてあまり出歩けなかったが、話に興味があったので出席した。会場は都議会の運営委員室で、都から佐藤教育委員長、小杉山社会教育部長、新島美術館長など、美術家は井上長三郎、中村正義、立石鉄臣、田代光などの公募展のえらい先生と吉村益信、田中繁一やわたしのような無所属の人達約30名。話は、日展の長期使用を半減させること。11月3日の文化の日を中心に、都民参加による美術の祭典(東京展)を開くこと。美術館の運営審議会は日展関係者に偏重しているので構成を多くの美術団体や学識経験者、都民代表らに広げる、など。しかし美術家の発言は、どれもこれも都民参加による美術の祭典とは言うものの何のことはない、公募展(在野展)の先生たちの日展憎しと、役人の前で日展の悪口、攻撃そのものだった。わたしはずーっと一貫して公募展に背を向け、前年迄3年ほどアメリカ、ヨーロッパで美術状況をつぶさに体験して来たせいか、日展ニッテンと叫んでいる先生たちの話は、戦前の公募展の徒弟制度といわれた時代に歴史が逆戻りしたような異様な光景に映った。パリでの胃潰瘍手術後間もなく、大きな声が出なかったので弱々しい小さな声で大体次のような発言をした。

 東京に住む美術家の相当数は、公募展に所属せず、美術館の100倍もする高い賃貸料を払って街の画廊を借りて個展やグループ展を行っている。美術館は年間2千万円もの赤字を出し、また新館の建設資金52億5千万円ものすべてが都財政より支出されている。つまり我々東京都民の高い税金により建設維持されている。新館落成の機会に、都立美術館の本来の目的、趣旨の原点に戻り、従来の美術館使用割当実施要綱を改正して、東京在住の無所属美術家の個展、グループ展の展示場を設けてほしい、と訴えた。その後針生一郎氏や森田信夫氏などと相談し、15名のよびかけで3月16日に仮称無所属美術家会議の初めての集合を渋谷の勤労福祉会館で開き発足した。


現代アーチストセンター展の記録

現代アーチストセンター展の記録です。現在から記録を遡ってみます。

一部資料準備中です。31回展以降はEXHIBITIONのページを参照してください。

2000年 第30回  8月22日〜30日

 第1彫塑室 「原風景 vol.]」

  霜鳥健二 中込靖成 石本光男 木村恭子 佐藤佳代 百瀬博之 古川泰之 野村俊幸 佐々木博輝

 第2彫塑室 「Gothic ART SO-KO53

  伊藤博史 大塩博美 城戸孝充 杣木浩一 高原尚司 豊崎洋二 原川佳子 古川仁史 松岡博子 米満泰彦

 A、Bギャラリー 「反解釈」

  青木聖吾 石村実 久保田香奈恵 米満泰彦

 

1999年 第29回  8月21日〜30日

 第1彫塑室、Bギャラリー 「夢の浮橋」

  赤松功 乾木純信 上原二郎 宇野和幸 大木道雄 清野光男 森田順子 阿蘇山晴子

 第2彫塑室 「Vibrant Soul」

  上坂公輔 後啓子 小林恒夫 岸本邦子 曽根久光 田口みどり 知多秀夫 寺田眞信 東裕二 堀部宏二 森岡純 横田慧

 Aギャラリー 「佐竹宏樹展」

  佐竹宏樹

 

1998年 第28回  8月21日〜30日

 第1彫塑室、Bギャラリー 「うぶすな」

  青野文昭 石川真人 石橋和典 井上活魂 紅颶風 佐々木健 冬樹 畠山宗季 藤原裕策 森田秀樹 八巻寿文 山田葉子

 第2彫塑室 「原風景 vol.\」

  霜鳥健二 中込靖成 石本光男 木村恭子 佐々木博輝 水口麿紀 古川泰之 野村俊幸 

 Aギャラリー 

   金澤安弘

 

1997年 第27回  8月21日〜30日

 第1彫塑室、Bギャラリー 

   阿蘇山晴子 青野文昭 鮎沢雅人 坂牛幹雄 高塚健 橋本高充   

 第2彫塑室 「溌・光・彩」

   飯野信二 横田慧 後啓子 高橋辰雄 団野雅子 寺田眞信 小林恒夫 山本宣夫 堀部宏二

 Aギャラリー 

   中津川浩章  

 

1996年 第26回  8月21日〜30日

 第1彫塑室、Bギャラリー 「船の来歴」

  阿蘇山晴子 後啓子 小泉光子 須部佐知子 田口みどり 団野昌子 津野元子 西山真美 森田順子 山田葉子 横田慧 <ゲストパフォーマー>高橋徹

 第2彫塑室 「原風景 vol.[」

  岡輝幸 石本光男 高島芳幸 中込靖成 松村理恵 藤井浩一朗 野村俊幸

 Aギャラリー 「UNIVERSE・ZERO」

  寺田眞信

 

1995年 第25回  8月21日〜30日

 第1彫塑室、Bギャラリー 「PINUP OF THE FUTURE」

  石川真人 石橋和典 石村実 大迫和夫 高塚健 田通栄 永田則子 野口栄一 平林りえ 松本勝 安田康彦 和田光人

 第2彫塑室 「BAD - NICE」

  五十嵐昌志 岩本正勝 木村太陽 佐竹宏樹 田辺寛雄 福田文彦 高橋徹

 Aギャラリー 「Exhibition」

  阿部隆 鷹取久晴 鷹取陽子 大友洋司

 

1994年 第24回  8月21日〜30日

 第1彫塑室 

  五十嵐昌志 石川真人 後啓子 小林恒夫 田口みどり 田辺寛雄 寺田眞信 山本光輝 山本宣夫

 第2彫塑室 「原風景 vol.Z」

  石黒和夫 岡輝幸 日下正彦 高島芳幸 高塚健 中込靖成 山藤仁 箭内新一 野村俊幸

 Aギャラリー

  阿部隆

 Bギャラリー 

   阿蘇山晴子

 

1993年 第23回  8月21日〜30日

 第1彫塑室 「色文殊」

  阿蘇山晴子 森田順子 鮎沢雅人 勝田徳朗 田尻秀樹 寺田眞信 山田和男

 第2彫塑室 「環領域」

  作左部潮

Aギャラリー 「アッシュイデア’sショウ ランドスケープ」

Bギャラリー 

   佐藤仁

 

1992年 第22回  8月21日〜30日

 第1彫塑室、ギャラリーB 「ONZE ORIENTATIONS 1992」

  阿部隆 飯野信二 上野雄次 後啓子 金井良子 高橋辰雄 団野雅子 寺田眞信 細田秀明 メドヴィエル・マリ・ジョゼ 吉沢太

 第2彫塑室 「原風景 vol.Y」

  石上和弘 菊谷哲 作左部潮 佐藤久一 中込靖成 箭内新一 野村俊幸

 Aギャラリー 「平面の存在」

  公庄治

 

1991年 第21回  8月21日〜30日

 第1彫塑室、Bギャラリー 「GET OUT F32°」

  赤松功 家住邦男 石川真人 後啓子 佐藤隆子 須部佐知子 高島芳幸 竹内博 堀部宏二 宮沢高 山田直行

 第2彫塑室、Aギャラリー 「異体感空景1991」

  阿蘇山晴子 花岡和也 寺田眞信 田口みどり 藤本均定成 阿部隆 荒井真一 井上陽子 鷲見純子 リサ・スペース・ナイチンゲール 

  合津眞治 桑原正彦 栗原文雄 坪良一 山桝紳二郎 鮎沢雅人 小林良一 加勢川明 井上憲一郎 武田守弘 中屋廣隆 松田司乃実

 

1990年 第20回  8月21日〜30日

 第1彫塑室、Bギャラリー 「原風景 vol.Y」

  小林良一 菊谷哲 作左部潮 佐藤久一 中込靖成 松下友紀 にわ望 鈴木厚 上野東声 野村俊幸

 第2彫塑室 「醸成と作物」

  青野剛三 稲垣尚友 井上恵一郎 岩崎隆 苧坂恒司 北川幸治 倉石文雄 中村文夫 花岡和夫 平野泰彦 藤本均定成 松原明美

   Monica Krnot 森田栄一 森田昌之 山田順子

 Aギャラリー 「Watershed」

  玉征夫

 

1989年 第19回  8月21日〜30日

 第1彫塑室 「」

  

 第2彫塑室 「l」

  

 A、Bギャラリー 「」

 

1988年 第18回  8月20日〜30日

 第1彫塑室 「原風景 vol.W」

  植松誉 梶田孝史 伊藤洋介 阿部隆 丹波望 日下正彦 飯ヶ谷栄 野村俊幸

 第2彫塑室 「Outward Bound」

  長重之 白川昌生 中川直人 長谷川仁 宮内洋幸 宮越かおる ヨシタカ・マエジマ 小島都敏男

 Aギャラリー 

  玉征夫

 Bギャラリー 「発音」

  北川聡 丹下敬文 角森昭収

 

1987年 第17回  8月21日()〜30日()

 第1彫塑室 「原風景 vol.V」

  衣川哲夫 小屋哲雄 佐藤久一 社本善幸 塚原奈緒子 作左部潮 石黒和夫 日下正彦 野村俊幸

  第2彫塑室 「降り立った絵画」

  稲憲一郎 越川修身 大嶋彰 勝又豊子 北川聡 倉重光則 小松崎広子 田中繁一 新里陽一 伴勝雄 藤井博 三本博子 みわはるき 

 Aギャラリー 「こわれた顔」

  福田恒太

 Bギャラリー 「海馬空間  HOT ART + SOMETHING

  金井靖博 菊地和生 松本和久 豊田健治 永島ツトム 丸尾康弘 大島均 渡辺浩 野本ヒロシ ヨシオウ・マエジマ

  寺沢徹 林敏英 広部雅巳 大田タケオ

 

1986年 第16回  8月20日〜30日

 第1彫塑室、Bギャラリー 「原風景 vol.U」

  加茂哲 加茂孝子 菊谷哲 今野光一 佐藤祐子 佐藤久一 社本善幸 塚原奈緒子 作左部潮 長橋秀樹 日下正彦 野津俊文 

  野村俊幸 富岡知子 松山祐太 ヨイオウ・マエジマ 渡辺英司

 第2彫塑室 「たそがれのパースペクティヴ」

  飯野信二 大串孝ニ 後啓子 公庄修 高橋辰雄 藤田組(藤田基夫・他) 山田恵子 山本正美

   <ゲストパフォーマー>竹内建 みわはるき  

 Aギャラリー 

   田中繁一

 

1985年 第15回  7月22日〜29日

 「原風景 vol.T」

   佐藤時啓 佐藤久一 社本善幸 塚原奈緒子 金井良子 菅野敦 大村仁志 日下正彦 アントリュー・ゴールディング 野村俊幸 

 橋本妙個展」

 尾崎直己展」 

 「準回顧展」  宮下直子

 

1984年 第14回  7月22日〜29日

 「試行する作家展」

 「光の芸術 ステンドグラス展」

    古谷直行企画

 岡延子グループパフォーマンス展」

    井川けい子 稲葉厚子 井上桂月 岡延子 加藤みや子 桐山良子 倉持千鶴子 小林俊彦 中村涼子 深谷正子

 杉原香子展」

 尾崎直己展」 

 「秦正治展」

 清水慰展」 

 

1983年 第13回  7月24日〜31日

 「試行する作家展」

 岡延子グループパフォーマンス展」

 「OPERAU展」

 ウイルミン・ヘンドリックス展」 

 「坊主平鋤雲展」

 井上桂月展」 

 標恵美子展」 

 「小倉浩二展」

 井口哲夫展」

 「原山尚久展」

 佐藤俊雄展」

 

1982年 第12回  7月24日〜31日

 「試行する作家展」

 岡延子グループ展」

 アリヨス・イエルチチ展」 

 「秦正治展」

 金子峻龍展」 

 藤森勝次展」 

 「山本純輔展」

 

1981年 第11回  7月24日〜31日

 広河隆一 中村晴彦 ピーター・ヘラムズ 高橋正憲・美子 池田昭 みわはるき

 「OPERA展」  

 

 1980年 第10回   11月28日〜12月7日(同時に発足会)

 福田恒太 一盃森仁 杉原香子 高橋美子 山本宣夫 木村比七郎 鷲頭剛とグループ黙 4泉展 パレスチナの子供たちの絵は

        第9回   7月

 「展出された7景」

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